1-2-2 養父市はいったいどんなとこやろ?移住前提で考えてみた

地域おこし協力隊に応募したわけではあるが、正直、養父市がどんなところであるかほとんど知らない。

通ったことがあるけど名前しか知らん。一度は見てみたい。それに、移住となれば住むところやビール工場物件探しも必須。

なので、早速市役所の方に案内してもらうことにした。

と、まあその前段階としてだが、一応地域おこし協力隊の第1次書類審査は何のこともなく合格!

ってゆーか、応募して翌日ごろには書類選考通過のメールが来た。異常な速さにびっくり!

決裁すらとってへんのやろか?応募が少ない自治体というのはどこもこんなもんなんやろうか?よくはわからんが、養父市では書類選考については居住地等の最低限の応募条件しか確認していないようである。

これは、たまたま自分の応募条件の競争率が低かったのか、養父市の書類選考のやり方なのかは不明であるが、何にせよいくら地方都市とは言え、この処理のスピード感には驚きと共に感心させられた。

こういう町なら、よそもんの私でもなんとかなるんやないか?基本的に養父市は当たりちゃうかなと朧気ながらも感じたのであった。

さて、話がだいぶそれてしまったが、よくやく本題の養父市訪問記に参りましょう。

まずは、JR山陰本線の八鹿駅で待ち合わせやけど、金がないんで尼崎から18きっぷで向かう。特急なら2時間程度だが、鈍行だと4-5時間はかかる。特に福知山、めちゃくちゃ接続悪い。管理局の境界なのかよくわからんが、必ず、1時間弱の接続待ち。

仕方ないんで、駅前をぶらっとするも食えそうなところも飲めそうなところもほとんどない。いつの間にか駅は上がって立派になったけどなんか昔より寂れた感が…。地上のときは蕎麦屋や弁当屋などでもっと賑わってた気がする。深夜まで弁当売りがおったはずだが今や見る影もない。キヨスクすらなく、改札を出ないと何も買えなくなっていた。

まあ、そんなことより、なんとかどうにかこうにかようやく八鹿駅到着。こちらも特急停車駅なのにキヨスクすらなく、駅前にはバスセンターと酒屋(居酒屋ではない)1件のみ。驚くほど何もない。帰りは気を付けんと大阪迄ひたすら酒も食もなしの修行の旅になりそうww

さて、駅では市役所の方が車で迎えに来てくれていたので、市内をぐるぐる案内してもらった。当然土地勘も何もないんで、どこがどこかあまりわからなかったが、思ったほど

田舎でもない。固まってはいるがお店もけっこうある。以前に町が合併したうえに市域が広いので人口は2万以上なので田舎ではあるがド田舎ではなかった。

ただ、町中でも徒歩と自転車の人がほぼいないには驚きだったが、流石に山の奥のほうまでいくと何もない。山と緑と川ばかり。途中川に飛び込み遊ぶ子ら。楽しそう!自分もやりたいな。うらやましい。

うろうろ見たあとはもと地域おこし協力隊で移住されたデザイナーの河内さんにお話させてもらった。いろいろ計画もされており毎日急がしいながらも、楽しそうに暮らしてはる感じがして自分も田舎暮らしできそうかなと感じた。

あとは、住むところや物件なんかは採用されてからぼちぼち探せばいいみたいな感じだった。とりあえず、商工会所有のアパートがあるので、一旦そこに住んでいいところがあれば引っ越してもいいと。

できるならば、ビール工場と住居が一緒にできる物件がいちばんいい。

でも、そんな簡単には見つからへんやろう。まあ、採用されると決まったわけでもなし、ぼちぼちのんびり考えようと思っていた。町の案内としては、こんな感じで、もちろん全てわかるはずもなくこれはしょうがない。

帰りの汽車のなかで、ボーっと空と流れる田舎の風景を見ながらビールを飲むとなんとも清々しいいい旅夢気分な私なのであった…。

市役所や住民の方は親しみやすい感じと生活環境や時間感覚がのんびりと自由な空気感があった。また、大阪から列車でも車でも2時間ほどで、生活に車は必須だが暮らしやすそうな雰囲気だった。養父市ならやっていけそう、どうにかしてもぐりこんでビール工場を造りたいなと思う町やった。

もちろん、まだ採用されたわけでもなく書類選考が通っただけで、合格率なんかもさっぱりわからないんでホイホイ動き出すわけにもいかん。とにかく、来週の面接に向けて準備するしかないということなのであった。

今日はここまで。続きは面接のお話。

しかし、これ、書き出すときりがなくなってくる。こんなに長く、大量に書くつもりもなかったんやけどどうしたものか?

とにかく、文章をまとめる力がないだけなのだが、まあ思いつくだけとりあえず、最後まで書いてみよう。

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